私とラジコンとの関わりは 昭和38年頃 叔父の影響で フリーのエンジンボートから スタートしています。木製の船体キットを組み上げてエンジンを搭載してラダーを少しだけ左右どちらかに設定してエンジンは全開で走航させ ガス欠になりまで円を描くように 走航させるというものでした。船体キットは KNK(地球堂模型店)のものをよく作っていました。 耐グロー燃料の塗料があまり出回っていなかったので 苦労した覚えがあります。 水冷エンジンというものも あまり一般的ではなく 銅パイプを螺旋状に巻いて ヘッドに装着するっていうのが 常識でした。 エンジン始動も大変な作業で当然電動スターターもなく 駒を廻すひもを使って始動させていました。 朝から晩までやってエンジンが掛からないっていうことも日常茶飯事でした。 その後 R/Cへのステップアップとなるわけですが 最初はヒノデ電工のシングルチャンネルのボタン打ちのメカを使った 電動ボートだったような気がします。 サーボはまだ普及しておらず エスケープメントを使った ラダーオンリーだったようです。 当時のメカ製造メーカーとしては ヒノデ OS オリエント KNK MK(加藤無線)があったように思います。 ボートならまだいいですが ボタン打ちで飛行機を飛ばしていた諸先輩がいたことは驚異に感じました。 シングル マルチという呼び名で分類していて シングルチャンネルは サーボ(エスケープ)を一ヶ 制御するだけ マルチチャンネルは2ヶ以上を制御できるって感じでした。 送信機のスタイルもアルミ製の筐体で シングルチャンネルは電源スイッチと押しボタンスイッチのみ マルチチャンネルは 電源スイッチとシーメンススイッチと押しボタンというもので 電圧メーターなどはなかったようです。 エンジンメーカーは OS フジ エンヤ位で 外国製品もあまり流通してなかったように思いました。 その後プロポーショナルシステム(比例制御)への 移行となるわけですが 最初に手にしたのは ヒノデが発表した シングルプロポでした。 価格は多分¥15,000位だったような記憶があります。 受信側はサーボとの結線をユーザーが行うっていうのが常識でした。 ラダーサーボのみ 比例制御で エンコンはボタン打ちで ボタンを押すごとに スロー、中スロー、ハイという風に 切り替わっていくというものでした。 この頃のプロポはアナログ方式でサーボの動作スピードもとんでもなく遅かったです。 ボートの競技会は 神戸の場合、 模型店の団体が主催して 須磨寺の大池で年一回 開催されていた競技会が 唯一だったようです。 その後、多分昭和43年頃 JMPBAが主催する 400M周回競技があることを知って 中学二年生位の時に 予選会に出場しました。排気量分けで 20 40 60以上と3クラスに別れていました。 各クラスとも 40秒前後がトップタイムだったようです。 エンジンはスーパータイガー全盛時代でして OS エンヤは 汎用エンジンという感じでした。 船体メーカーとしては ABCホビー 東京堂 KNK クリッパー OMCが台頭していました。 その後元々 自動車が好きで R/C自動車へと転換していくのです。 RCカーのキットがあまりなく 私が知っている限り最初の市販RCエンジンカーキットはKNKより発売された ジープでした。 全金属製で本格的なデフや 水冷エンジンとラジエターも採用されていました。 伝説の名車 タミヤ製ポルシェ934ターボを購入 友人達と 競争したものでした。 走行用電源が単2電池4本でしたので 一回走らせるごとに ¥300位がなくなっていきましたので 単2ニッカド電池を購入して搭載していました。 続く